#2017年ボカロ10選 後記
VOCALOIDファンコミュニティの年末年始恒例行事、
「ボカロ10選」をご存知でしょうか?
ニコニコ動画へ1年間に投稿されたVOCALOID作品から10作品を厳選、共有するこの行事は、2009年頃からはじまり2017年で第9回目を迎えました。
2017年は「VOCALOID2初音ミク」の発売から10年目にあたるメモリアルイヤー。VOCALOID音楽シーンはかつてないほどの熱気に包まれ、私個人としても素晴らしい作品にたくさん出会うことが出来ました。ボカロを聴き始めた頃には想像だにしていなかった未来にきてしまったんだなぁ…としみじみ感じます。本当にすごい年だった。。。。。
10作品を選ぶにあたっていろいろと思うところがあったので、今回も紹介を兼ねた記事を頑張って書きました。良ければどうぞ、お付き合い下さい。
それでは1曲ずついきます!
①SEX UNIT/PSGO-Z
2017年はEDM(エレクトリック・ダンス・ミュージック)が洋楽メインストリームにおける新興ジャンルとして爆発的なブームを巻き起こした時代がようやく終焉し、
1つのジャンルとして定着した後の時代。所謂「ポストEDM」の流れが国内においてもいよいよ顕著になった節目です。BigRoomHouse・Bounceをはじめとする
ゴリゴリ系の分かりやすい4つ打ちダンスミュージックはその役目を終えつつあり、代わりにそれらのアンチテーゼとして、かつてのハウスミュージックへ回帰
しながら新たな要素を取り込んだ、Futurehouseをはじめとするジャンルが注目されるようになってきています。
PSGO-Z氏が2015年より手掛ける連作シリーズ「AMBROSIA」の最新作に当たる本作は、そんなトレンドを如実に反映しながらそのさらに先へ進んでいます。
Futurehouseの影響が感じられるアップリフテイングでスタイリッシュなリズム構成に
Tropicalhouse由来のリゾート感あふれる音作りを融合させた、まさに…良いとこ取りのトラックは、先進的かつ革新的な魅力に溢れていると言えるでしょう。
加えて言及すべきはPSGO-Z氏の卓越したVOCALOIDプログラミング技術です。VOCALOIDソフトウェアの癖を分析し独自の調整ノウハウを構築しているプロデューサーとして有名なPSGO-Z氏ですが、本作では非常に聴き取りやすく艶のあるボーカルのみならず、スキャットを利用したリフや時々挟み込まれる合いの手(nana…)にも初音ミク歌唱を全く違和感なく使用する熟練の調整技術が炸裂しています。胸部装甲が揺れ動くセクシーな動画に気を取られている場合ではありません。ワールドクラスと互角に闘える本作のようなトラックへ不意に出会ってしまうと、ボカロ曲を聴くのがますます止められなくなりますね。
②まっしろ/gaburyu
futurebassが震源地soundcloudより世界各地のクラブミュージックシーンへ伝播してから数年が過ぎ、そろそろ流行は収束する方向に進むだろう…という大方の予想が、
国内のコアリスナーの間で囁かれていたのが年初頭。しかし蓋を開けてみればシーンは全く逆方向…むしろ大いに発展を見せることになったのが2017年でした。
その大きな要因として挙げられるのが、中田ヤスタカをはじめとする国内に大きな影響力を持つアーティストの活躍です。特にPerfumeへの提供楽曲「If you wanna」はそれまでのJPOP文脈とは全く異なるサウンドとして、メディアにも大いに取り上げられ、futurebassはここにきて再度、未来型の新しい音楽として国内にて再定義・再認識されることになりました。
VOCALOID音楽においてはこのジャンルで若手トラックメーカーが頭角を現してきており、ゆざめレーベルの初音ミク10周年コンピレーションに曲提供した「メテオライト」
の鬼才yunomi氏や海外ラジオ”SINGLE OF THE YEAR:に「AM2:30」がランクインした後藤尚氏など、徐々に役者が揃ってきた感があります。
本作「まっしろ」を手掛けたgaburyu氏もそんな新時代のトラックメーカーの一人。
彼はfuturebassのセオリーを完全に咀嚼しつつ、自身のバックグラウンドであるSkrillex以降のbass系サウンド、ルーツであるハワイ島のイメージ、更にはゲームミュージックをも取り込んだ独自体系を提示しています。
聴いていると自然に体をゆらゆら揺らしたくなる本作「まっしろ」にて描かれているのは暑い砂浜でしょうか、寄せては返す波のようにも感じられます。それとも、それら全てを包み込むまっしろな光…すなわち、やわらかく時間が過ぎていく常夏の風景かもしれません。とても心地良い。
2017年12月にはVOCALOID×クラブミュージックの総本山的イベント「VOCALOID-ManiaX」にも異例の大抜擢でゲスト出演を果たし注目を集めたgaburyu氏。
加速度的に活躍の場を広げるその勢いは往年のTREKKIE TRAXをも彷彿させるものがあります。今後に期待したいものです。
③Serial/TKN
2000年代アメリカ南部のヒップホップシーンから発祥したとされるジャンル、TRAP。元来はローカルのストリートから伝播してきたジャンルでありながらアメリカのダンス・ミュージックシーンと邂逅しつつ発展を続け、現在ではポストEDM時代の屋台骨を支える筆頭ジャンルとして大きく支持を集めるまでになりました。
特徴としては太いベースサウンドとスネア・ハイハットの執拗な連続音が挙げられ、中でも上モノがチルくてクールな”CHILLTRAP”と呼ばれる種類のトラックは2017年にクラブで最も人気を得たジャンルの一つであり、本作「Serial」もそれに該当します。
ボーカル音声と、ボーカルを刻んだ音のシンセサイザー的利用。そのお互いを行ったり来たりさせつつ曲を展開させる手法はダブステップ以降のエレクトロ・マナーとして最早お馴染みではありますが、本作ではその役目をGUMIに…つまりボーカル・シンセサイザーであるVOCALOIDに担わせている点に説得力があります。TKN氏により調整を施されたGUMIのエモーショナルな哀愁ある「声」、GUMIのチルくてエモイ「音」。その二つを自在に行き来する…境界が曖昧な状態、いわば声と音のキメラと形容すべき状態はVOCALOIDの十八番とも言え、本作のドープなTRAPビートへの相性が抜群です。是非ともこれをクラブの音響下で存分に浴びてみたい!!大好きです。
④愛は雨のように/マグロジュース
合成音声歌唱を用いて制作されたHIPHOP、通称「ミックホップ」は2014年に新たなジャンルとして提唱されたものです……という前口上が最早必要ないほどにはボカロシーン内に確固たる地位が既に確立された2017年。当初はstripelessレーベルとその周辺に集うトラックメーカー達によるコミュニティ色が強かったミックホップも、月日が経過
する中で次第に広く浸透し、リスナーを増やし、今やミックホップを聴いてミックホップを作るようになった世代…いわば2期生とでも呼ぶべき新世代のトラックメーカー達が次々に登場する段階へ移行しています。
マグロジュース氏が手掛ける本作は、そんなシーンの移り変わりを象徴するかのような一曲。本作におけるサンプリングネタの選定、雪歌ユフによるラップのフロウ…知ってか知らずか、これらはミックホップ黎明期からシーンの立役者であるmayrock氏のトラックを自ずと彷彿させ、氏へのリスペクトを感じさせる要素でもあります。なんともニヤニヤしてしまいますね。また本作はbpmが85→170→85… と変動を繰り返すのも大きな特徴で、揺れ動く感情の波と雨音の強弱がシンクロし、自ずと胸に迫ってくるような展開が非常に興味深いです。
”2期生”には他にも、プリミティブで特徴的なリリックからボカロラップの可能性を押し拡げるTachibuana氏や、純邦楽のエッセンスを用いたメロウでムーディーなトラックを得意とする平田義久氏など。とんでもない人材がゴロゴロしています。2018年にはミックホップのコンピレーションアルバム「MIKUHOP LP」のシリーズ最新作が満を持してのリリースを予定しているとの情報もあり、ミックホップはこれからもっと面白くなりそうな予感がします。楽しみですね。
⑤産声上げた、そんな気がした/taron
CRZKNYが怪作「MERIDIAN」を引っ提げ全国行脚しては、各地でスピーカーをオーバーヒートさせていたのも記憶に新しい2017年。日本のJUKEことJapanese footworkのシーンは例年に劣らずなんとも賑やかな一年でした。クラブミュージックのみならずインディーロックやアンダーグラウンドヒップホップ、果てはインターネットミームに至るまであらゆる要素を貪欲に取り込みつつ膨張するこのシーンにおいて、今や咀嚼される対象の一つとしてVOCALOID音楽が挙げられているのは最早言うまでもなく、コンピレーションアルバム「VOCALOID JUKE」のリリースによって更に広く周知されるものとなりました。
当アルバムへの参加に際し自身のキャリア初となるボカロ曲を制作したtaron氏は、
その後も年間を通し挑戦的なトラック制作を続け、渾身の一作となる本作の発表をもって新たな風を吹きこむことになりました。
80、120、160のポリリズムで構成されるJapanese footworkにおいて最大の特徴とされる120の三連符、この複雑かつトリッキーなビートに日本語のリリックを乗せる試みはかねてより行われていますが実験的な範疇に留まっていたのがこれまでの常でした。その課題に対し、初音ミクに絶妙なバランスで「ラップするように歌わせる&歌うようにラップさせる」ことで、これ以上無く鮮やかに回答してみせた手腕には脱帽の一言です。何者なんだろうかこの人。今後のプロトタイプになりうるこのフロウの発明は、同時にJapanese footworkの新たな楽しみ方を提示するものでもあります。舌を巻くほかありません。
⑥東京ニテ/セシモ
無機質な都市空間のイメージとVOCALOID歌唱は相性が良いらしく、millstones氏のヒット作「計画都市」をはじめに、VOCALOID音楽シーンでは都市を題材とする楽曲がこれまで多く生み出されてきました。オリンピックをすぐそこに控える国際都市東京について歌った本作「東京ニテ」はその系譜に位置付けられる一曲です。
VOCALOID歌唱の特徴として、感情の欠如や当事者感の欠如といった要素は未だによく批判の的にされますが、本作においてはそういった点が楽曲の構成要素としてマイナスどころか、むしろ大いにプラスに働いている事は言及するべきでしょう。
つぶやくように言葉を吐き出す結月ゆかりの歌声は、日本語で日本の首都の事を歌っているに関わらず…歌う内容に対してどこか距離感を保っています。
「アジアの最果て」「サムライになれるかな」といった歌詞は、無機質に鳴り響くリズムと相まって、どこか他人事として見つめる超越的な感覚…エキゾチックな快感を呼び起こします。堪りませんね。
余談ですが、本作にも採用されているドラムンベースについて。
本来のニッチなクラブミュージックであるドラムンベースにおいては、そもそもこの高速リズムの上に日本語詞の歌を乗せる文化はあまり無いはずなのですが…ボカロと組み合わせる特性上、VOCALOID音楽シーンでは日本語の歌ものドラムンベースが無数に溢れる状況となっています。ボカロを聴いて育った若いリスナー世代の間では既に、歌ものドラムンベースを全く違和感なく当たり前のモノとして受け入れる状況が発生しているわけです。これって、なんだか興味深いと思いませんか。トリビアになりませんか。
⑦二人の食卓/ポンヌフ
ニコニコ動画においてはボカロが食べ物について歌う曲につけるタグ「VOCALOID食堂入り」というものがあります。古いボカロリスナーの間では、このタグが付いている曲はハズレが無い、という…定説があるのですが皆さんご存じでしょうか。真偽はさておき、身体を持たず食事を摂る必要が無いVOCALOIDがわざわざ食べ物について歌うという状況自体がひどく奇妙で、不思議と魅力を増大させる面があるのは事実かもしれません。本作も、VOCALOIDが歌う…そんなお料理ソングの一つです。
ジャジーでポップに揺れながら、二人で一緒に家で料理をする様子がお洒落に描かれている本作。しかし歌詞を紐解くと、実は恋人同士の二人は、明日には別れて別々の道を歩むことが既に決まっていて。最後の一日に一緒に料理して一緒に食事をして過ごす…なんとも切ない大人な恋愛の終わりが描かれていることに気が付くでしょう。
ここでもVOCALOIDの第三者的な歌唱はその効力を発揮しています。
人間ではないVOCALOIDがどこか他人事としてあっけらかんと歌い上げることで、悲しい別れの歌でありながら、確かに前を向いているような。初音ミクの平熱歌唱が聞き手の感情移入に余白を与え、ある種の救いも与えているような。そんな歌になっています。ちょっと面白いですよね。
⑧アイドル/puhyuneco
謎のイントロ(卵をかき混ぜる音?)から始まる本作は2017年のVOCALOID音楽を語る上で避けては通れない怪作です。不穏で緊張感のある非常に攻めた音作りでありながら、ノスタルジックなリリック、明快なメロディー、コーラス、全てが奇跡的なバランスで結合し、過去に類を見ない極上のポップ・ソングに仕上がっています。
puhyuneco氏は天才なのでしょうか。彼の頭の中に渦巻く記憶と感情がまるでそっくりそのまま描き出されたかの様な音の展開は、聴いているとまるで他人の頭の中を覗き見ているかのような錯覚に陥ります。目を背けたいのに目を背けることが許さない。本当に凄まじい楽曲です。
前述した⑥「東京ニテ」⑦「二人の食卓」ではVOCALOIDが歌の内容に対してどこか第三者的に歌うことで楽曲の魅力を引き出していると述べました。が、本作「アイドル」ではその全く逆…むしろ歌の内容と初音ミクのボーカル音声との間には一切のフィルターが存在しない完全なゼロ距離であり、初音ミクの声がpuhyuneco氏の脳味噌と完全にシンクロしてしまったかのような状態。ある種の恐怖を感じるほどです。しかしそれこそが純粋さ・無垢さといった要素を強調し、増幅装置として機能することで楽曲の魅力を異常なまでに底上げしている点は、これまた言及されて然るべきでしょう。
こういった、人間では無い代理の声…つまりは媒介存在が持つある種の拙さを利用することで逆説的に人間の心に深く訴えかける方法は、遡れば…能面や浄瑠璃人形にも見れられる伝統的な「見立て」手法に共通点を見出すことが出来る様にさえ思えてきます。
本作はその極北に位置する存在であると言って良いでしょう。
初音ミクは現代の人形浄瑠璃である、と主張したのは故 冨田勲でしたが、
彼が生前、以下の様にも述べていたことを思い出します。
「人形だからこそ、人間以上のものが出てくる。そういう文化が日本には脈々とあって、初音ミクはそれの電子版だと思うんですよね」
本作「アイドル」を聴いた後では、思わず深く頷かざるを得ません…。
⑨砂の惑星/ハチ
マジカルミライ2017のテーマソングとして制作された本作は、初音ミク10周年というメモリアルイヤーで一番多く聴かれたボカロ曲であることに間違いは無いでしょう。
アラブ音楽のリズムを踏襲したTRAPビートのヒップホップとも解釈出来る先進的なトラックは、VOCALOID音楽シーンの内外を問わず国内のあらゆるリスナーに刺激を与えてきました。南方研究所制作のPVと一体となって世に出たこの楽曲を巡っては様々な解釈が入り乱れ、各所で盛り上がりを見せたのも記憶に新しいところです。
曰く、これは希望の凱旋歌だ。
曰く、違うよこれは現状のVOALOID音楽シーンを嘆いて警鐘をならす歌だ。
曰く、引き連れ歩く仲間の数はこれまで発表した楽曲の数と呼応していて~…
いやそうじゃない。しかし。やっぱり。実は…
云々。
様々な捉え方がありますがここでは少し脇道に逸れ、
なぜここにきて「砂の惑星」という題材を選んだのか?について少し考えてみたいと思います。
少しだけお付き合いください。
そもそも。
ゴーゴー幽霊船では「GOGOモンスター」が影響しているように、
ハチ米津楽曲における世界観には明確な参照元が存在するケースが多く見受けられます。
砂の惑星はフランク・ハーバードの傑作SF「デューン/砂の惑星」を参照しているように思われがちですが、彼が描く世界観における松本大洋やメビウスの影響、彼自身が心象風景として語る砂漠のイメージ等を踏まえつつ文脈を辿れば、おそらく「砂の惑星」において彼が直接の参照元としているのは
ハーバードの原作を基にホドロフスキー監督が手掛けた、いわゆる「ホドロフスキーのDUNE」であると推測されます。
世界で一番有名な完成”しなかった”映画として名高いこの作品は俗に…全てのSF映画の元ネタとも呼ばれ、プロジェクト自体は失敗に終わったものの、後に続くありとあらゆるクリエイターへ多大な影響を与えた伝説の作品です。
この作品が無ければあのスターウォーズも、あのエイリアンも世に出ることは絶対に無かったと言われており。。
いわばそれは「始まりの場所」の象徴。
同時に、あらゆる創作者にとっていつか辿り着く場所、帰る場所と同義として語られます。
つまりハチが「ホドロフスキーのDUNE」を参照して「砂の惑星」を作った事実が何を意味するかと言えば、
彼は彼自身が描く世界観の中に、
「砂の惑星」という精神的故郷…始まりの地点を示す歌を創造したと解釈するのが妥当でしょう。
何を言っているのか分からない??????
そんなハズはない。
似たような歌を何度も聴いたことがあるはずです。
たとえばハジメテノオト
”やがて日が過ぎ 年が過ぎ
古い荷物も ふえて
あなたが かわっても
失くしたくないものは
ワタシに あずけてね ”
たとえばray
BUMP OF CHICKEN feat. HATSUNE MIKU「ray」
”大丈夫だ この光の始まりには 君がいる”
たとえばアンノウン・マザーグース
”ねえ、あいをさけぶのなら
あたしはここにいるよ
ことばがありあまれどなお、
このゆめはつづいてく
あたしがあいをかたるのなら
そのすべてはこのうただ "
そうです。我々はこの種の歌が示すところを既に知っている。
ハチが米津玄師になってから、早いもので2017年で既に5年がすぎました。
今や押しも押されぬトップアーティストとなった彼ですが、
背負い続けた「ボカロ出身」の十字架の重さはいかほどか。
想像することすら出来ません。
かつて置き去りにして殺し、仰々しい葬送まで行って切り離した自らの初音ミク。
それなのにいくら振りほどこうとしても未だ振りほどけないかつてのパートナー。
呪縛に近い愛憎があるはずです。
ならばもういっそ、もう一度自らに取り込んでしまえばいい。
自分の「砂の惑星」で、いつでも帰りを待っていてくれるのだと。
赦しを与えてくれる存在なのだと
そうしてしまえばいい。
なぜなら彼の初音ミクにとって現在と過去は等価であり、
ふたつは未だに進行形で闘っているからです。
過去の結果として現在があるなら、現在を正すためには過去を書き換えて
田園に死す必要があったのです。
つまり、だ。
過去を上書きして因果は逆転。
殺したはずの初音ミクはずっと生きていて自分の帰りを待っている。
そういうことにしたかった。
そういうことにしようとした。
そういうことにした。
そして、そういうことになった。
してしまった。
米津玄師がハチに施す救済でありサイコ・マジック。
米津玄師版「ハジメテノオト」の創造。
それが砂の惑星の正体です。
なんとも個人的で捻くれた、愛おしいバースデーソングだと思いませんか。
「あとは誰かが勝手にどうぞ」と
初音ミクにずっと言って欲しかったのは、
きっと米津玄師自身です。
⑩リアリティーのダンス/ATOLS
ホドロフスキー監督の同名映画をタイトルに引用したと思われる本作。
「自分の制作スタンスは常に何かのアンサーである」というATOLS氏本人の主張を
踏まえると、「ホドロフスキーのDUNE」を参照している前述⑨「砂の惑星」に対するアンサーソングであるのかもしれません。
dancehollのゆったりしたリズム構成とtropicalな音色に、優しいボーカルがこれ以上無く馴染み、ATOLS氏の従来の作風とは一線を画すこの冒険的なトラック。
まるで目を覚ましながら夢を見ているかのような、不思議な浮遊感に満ちています。
作中で「キミとたまたま出逢えたら」と何度も歌う初音ミクの歌唱は、もう決して
出逢うことが出来ない何かを悟っているようであり、それでいながら人間の様に悲しむこともなく、ただただ諳んじるように進んでゆきます。
こちらを見つめ、決して目をそらさずにゆっくり近づいてくる黒猫もまた、同じく人間ではありません。
ずっと聴いていると、何故だかぼろぼろ涙が零れてきます。
何故だろう。
本当に何故だろう。
優しい曲です…
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以上、10曲でした。
興味を持った曲が1つでも見つかったのであれば嬉しいです。
そして、ぜひとも私だけでなくほかの方のボカロ10選も巡ってみて下さい。
それぞれに詰まった音楽の面白さが、貴方には感じとれるハズです。
そうこうしているうちに、もう2018年になってしましました。
あれから何年も経ったけど、私はいまだにVOCALOID音楽が大好きです。
今年もたくさんボカロ聴きます。