しろばなさんかく

ボカロと音楽のことを書いていきます

#2015年ボカロ10選 後記

VOCALOIDファンコミュニティの年末年始恒例行事、

「ボカロ10選」をご存知でしょうか?

ニコニコ動画へ1年間に投稿されたVOCALOID作品から10作品を厳選、共有するこの行事は、2009年頃からはじまり2015年分で7回目を迎えます。

 

私自身も2012年から4回目の参加↓となる今回、

選ぶにあたっていろいろと思うところがあったので、紹介を兼ねた記事を頑張って書いてみることにしました。

良ければどうぞ、お付き合い下さい。

 

それでは1曲ずつどうぞ!

 

①Fly With Me / ロボ

 

VOCALOIDを用いたテクノポップはボカロブーム初期から人気のあるジャンルで、初音ミクの起用が多いことからもミクノポップなんて呼ばれたりしています。
このジャンルのパイオニアであるkz氏や八王子Pが活躍の中心地をボカロシーン外へ移した後の2015年では、次世代のミクノポップクリエイター達の活躍が徐々に目立ってきました。特に目立ったのはマジカルミライ2015会場BGMに起用されたのが記憶に新しい「ブライトシティ」のkeisei氏。「ONLY1」にてEDM通過後のミクノポップを提示した23.exe氏。突如「Be myself」を引っさげて登場、殿堂入り(10万再生)を達成し話題を攫ったhano氏。そしてなにより、本作「fly with me」のロボ氏でしょう。
イタリア在住のボカロPであるロボ氏が制作するのは英語版初音ミクを起用したミクノポップ。「Fly with me」では、初音ミクボーカルのautotune、BPM120~130付近の4つ打ち、そしてミライのイメージといった、かねてより続くミクノポップフォーマットの踏襲と更新が行われています。そこで描かれる初音ミク像は、形容するならボカロブーム初期から続く電子の歌姫、のイメージよりも「デジタルポップスター」と言った方が近いかもしれません。年末にも6作同時発表を決行するなど、目が離せないロボ氏。2016年もロボ氏とミクノポップシーンに要注目です。

 

 

②DANCER / 雄之助


ULTRAJAPAN2015の開催やメディアの宣伝による「パリピ」の流行なども相まって国内におけるEDM(エレクトリックダンスミュージック)の認知度が大きく上がった2015年。ボカロシーンにおいても多くのEDM楽曲が生まれました。実はVOCALOIDシーンとEDMとの邂逅は意外と早く、2012年頃には既に始まっていたとされています。それから3年経った2015年は、もはや円熟期とも言える豊作っぷり!
中でも特筆すべきは雄之助氏(作曲)と彼を取り巻くクリエイター陣でしょう。本作ではKira氏によるVOCALOIDプログラミング(調教)も秀逸。もともとクラブミュージックに親和性が高いとされるVOCALOID歌唱ですが、彼によってプログラミング(調教)を施された、合成音声でありながら張り上げる様な力強い歌唱は、激しいEDMとの相性が抜群なのです。
「DANCER」にはボーカルとして鏡音リンが起用されていますが、クセがありつつも底抜けに明るい声の魅力が存分に引き出され、極上のビルド形成に一役買っています。

そしてその極上のビルドから繰り出される破壊的ドロップ!!!!!

バウンシー!!!!!!

最高です!!!思わず体が跳ね上がります!!!!!

2016年は是非ともこのサウンドをクラブの音響でも体感したいものです。

 

 

③私って変かな? / Epic Nao


かつての山本ニューが、sansuiPがそうであったように、なんでもありなボカロシーンには何の前触れもなく奇才が現われます。大衆ポップスの文脈からかけ離れた音楽性を有する彼らの楽曲は、アンダーグラウンドボカロジャパンというタグを付けられ、隔離され、ニコニコ動画の奥底で誰かの人生をねじ曲げる機会を今か今かと待ち続けています。もしこれを読んでいる貴方が怖いモノ知らずなら、タグ巡りやカタログの閲覧をしてみると良いでしょう。
そんなアンダーグラウンドボカロジャパンへのEpic Nao氏の登場は、2015年のボカロシーンにおけるエポックメイキングな出来事と言って差し支え無いでしょう。ダークなエレクトロニカ、あるいはノイズミュージックを主体としながらもEDM的な素養と思想が見え隠れするトラックメイクは、あたかも既存ダンスミュージックにおけるフォーマットを嘲笑っているかの様です。
初投稿作「私って変かな?」は衝撃の一言。
初音ミクの声を用いたノイズアンビエントが、いきなり挿入されるドロップによって破壊される様は意味不明。意味不明です。かつ圧倒的な陶酔感。必聴です

 

 

④窒素 / 自由落下

VOCALOIDとドラムンベースの組み合わせもまた、ボカロブーム初期から愛されているジャンルです。本来ドラムンベースに歌モノボーカルパートが載ることは必須ではありません。が、VOCALOIDと組み合わせる特性上、ボーカルパートが載ることが”必然”となり。そこにある種のキャッチーさが生まれます。また、この分野では時間の流れや空間の拡がりといったイメージがイラスト・動画表現にて付与されることが多く、無機質なVOCALOIDと無機質なリズムが組み合わさることによる、超越的な感覚を想起させることも特徴と言えるでしょう。大変興味深いことです。
本作「窒素」におけるイメージはズバリ、宇宙。bpm170のラウンジ系ドラムンベースに乗るGUMIのボーカルからは、歌詞が聴き取れるようで聴き取れない、それでいてキャッチーという不思議な印象を受けます。その捉えどころの無さは、あたかも宇宙空間を遊泳しているかのような感覚。堪りません。
作曲者の自由落下氏は次作「私の水槽」でも見られるように、プログレッシヴな曲展開を得意としているようで、「窒素」においても突如挿入されるドラムブレイクなど盛り沢山な展開で魅せてくれます。なおかつ明らかに盛り沢山なのに、スッ…と聴けてしまうあっという間の4分間です。そしてまた聴きたくなります。なんだろう…これは。素晴らしい。本当に素晴らしいです。

 

 

⑤あれもこれも / いっちゃん

米ローリングストーンの記事にも取り上げられた、日本のJUKEこと”Japanese footwork”が、今世界的に注目を集め始めています。
JUKEは本来シカゴの黒人ダンサーを踊らせるために開発された極めてストイックなダンスミュージックですが、日本人的な感性やナード文化・SNSの影響といった要因が複雑に絡み合った結果、先の記事でも「彼らは忠実なコピーを作ろうとしたが、結果としてオリジナルの”fun-house version”を作り上げてしまった」と評される独自の進化を遂げることとになりました。
そんなJapanese footworkの影響は2015年のボカロシーンにも見られ、オモイデレーベル「JUKEしようや」コンピレーションへのボカロP参加や、円盤Pの「予感リップス」におけるポリリズム実験、そしていっちゃん氏の本作「あれもこれも」へと繋がっています。
サンプリングミュージックとしても解釈されるJUKE。ボイスサンプルを音ネタとして使う手法が多用されますが、本作ではその役目を初音ミクが担っています。一聴すれば、VOCALOIDの十八番である高速歌唱が「あれもすきこれもすきかも…」と繰り返す無機質なボイスサンプルとして昇華されているのが分かるでしょう。声を自在に操る楽器=VOCALOIDの強みは、実はこういったジャンルにあるのかもしれません。まだまだ発展途上であるJapanese footworkにおいて、今後ボカロシーンが関わってくることはあるのか?要注目です。

 


⑥橋にまつわる / mayrock

2014年にMSSサウンドシステム氏によって合成音声歌唱を用いたHIPHOP、通称MIKUHOP(ミックホップ)が提唱されてからというもの、それまでどこに身を潜めていたのだと言われんばかりに、才能豊かな狂犬トラックメイカー達がボカロリスナーに”発見”されることになりました。彼らは今日もMIKUHOPの名の下にボカロシーンを揺るがさんばかりの活躍を見せています。
2015年はstripelessレーベルより、コンピレーションアルバム「MIKUHOP LP2 border」が新たにリリースされました。こちらは単なるアルバムの枠を越え、ボカロとは…ヒップホップとは…人間とは…。そのborderを問いかける文字通りの問題作。本作「橋にまつわる」はその4曲目に収録されています。
nujabesを彷彿とさせる優しく叙情的なトラック上で展開されるのは、重音テトと雪歌ユフによるフィメール(女性)ラップの掛合い。橋を隔てて思慕を交わし合う二人の言葉はラップに乗って、合成音声でありながら、いや…合成音声であるからこそ感傷的で極上のフロウを生んでいます。

余談ですが実はこの曲、合成音声ならでは…かつ、合成音声だからこそやる理由があります。
なぜならば、「百合」だからです。
HIPHOPカルチャーにおいては、ホモフォビア(同性愛嫌悪)が根強く、同性愛者は長らく阻害と攻撃の対象にされてきました。同性愛への支持を表明するのは長らくタブーであったのです。近年HIPHOPの本場、米国において意識は徐々に変化してきてはいるものの、まだまだ払拭には至っていないのが残念ながら現状です。
そんな中、人ならざる声を用いたフィメールラップによって百合をHIPHOPに持ち込む行為は、既存のHIPHOPカルチャーへのdisであり、何重にも皮肉の効いたパンチであり、だからこそ極めて逆説的にHIPHOP的だとも言えます。mayrock氏は本当におもしろいことをやってくれました。
2016年、今年もMIKUHOPER達は”やらかし”てくれることでしょう。期待です!

 

 

⑦般若心経 / tamachang


声の重なりと、拍子木、和太鼓、火が燃えさかる際のパチパチというノイズ…

可聴音域すべてに響き渡る音の波は荘厳さそのもの。
本職の作曲家であるtamachang氏が送り出した本作は、2010年夏のボカロシーンでブームとなった「般若心経ポップ」とはまた異なる文脈から成っています。
本作を収録したアルバム「神仏習合」の自作解題において、tamachang氏は以下の様に述べています。


”"「人ならざるモノの声」は、古くは(そして今も)、「呪術的な声」として表現されてきました。わざと日常的な声の使い方をせず、極端な音の高さをとったり、あるいは逆に音の高さの変化をなくしてしまったり、発音が曖昧になるように仮面をつけたりする、そうした声です。たとえば日本の新道の祝詞(のりと)にしろ、仏教の読経にしろ、日常会話のようには語られません。音の高さの変化を抑制した特殊な詠唱方で奏上されます。そうすることで、その祭文の音韻に日常会話とは異なる特別な雰囲気をまとわせているのです。"”

 

VOCALOIDはソフトウェアシンセサイザーであり、楽器であり、当然ながら人間ではありません。人ならざるモノであるVOCALOIDに般若心経を読経させる本作は、異色作のようでいて、実はVOCALOID本来の極めて正しい使い方をしていると言えます。ボカロならではの音楽が出尽くしたと思われていた2015年、だからこそ出現した呪術的グルーヴなのです。なんともおもしろいことです。

 

 

⑧りおんリヴァイバル / やっぱロドリゲス

兎眠りおんを知っていますか?
もしくは、覚えていますか?


2015年はボーカロイドストア閉鎖騒動に伴い、"おわり"を手に入れたボーカロイドル「兎眠りおん」の過酷な運命がボカロシーン内外に広く知れ渡った年でもありました。事の顚末はたちばな氏が分かりやすくまとめてくれているので読んでみて下さい。

 

兎眠りおんに限らず、VOCALOIDはソフトウェアであると同時にキャラクター性を有しています。キャラクター性を有しているということはつまり、彼ら(彼女ら)には人生とも言うべき、それぞれの文脈があるのです。

本作「りおんリヴァイバル」は兎眠りおんという存在の文脈がなければ生まれ得なかったであろう一曲です。

 

” 特別が欲しいな ちやほやされたときは無かった
     愛情揺らめく 涙さんざめく 
   歌に酔いしれる演技もした

この歌を歌えるのは、兎眠りおんだけです。兎眠りおんでなくては、ならないのです。
彼女はまだまだ生きていきます。

 

 

⑨アンドロメダアンドロメダ / ナユタン星人

耳に残るギターサウンドとキャッチーなフレーズ、ほどよいユルさで老若男女を虜にする本作が2015年のボカロシーンの代表曲です。異論はないでしょう。

そして未聴の人は今すぐ聴いてくれ。今すぐだ!!!!
2015年の夏に彗星のごとくボカロシーンに現れたナユタン星人氏は、現在までに投稿した5曲のうち本作を含む4曲で殿堂入り(10万再生)を達成させました。これは新曲の再生数が伸びにくいと言われる昨今のボカロシーンにおいて驚異的な数字で、一つの事件と捉えるべきでしょう。
ある人は「正解しか選んでいない」と評し、またある人は「膨大なボカロ楽曲群ライブラリを用いて渋谷系的アプローチを行っている」と評し、またある人が「ボカロシーンで三年おきに流行するデジタルロックの文脈」と評した本作は言わば、涙が出るほどボカロ曲、と言って良い圧倒的な王道サウンドのVOCALOIDロックです。2012年~2013年頃に「浮世絵化」とまで言われ一つの極地に達したVOCALOIDロックが、よもやこんなカタチで帰ってくるとは誰が想像できたでしょうか。本作では、ムダな情報(初音ミクのキャラクター性までも)の一切が削ぎ落とされ、本質が、気持ちいい部分だけが剥き出しになっています。最高です。これが最高でなければなんなんだ!!!!

 

 

⑩東京マヌカン / ピノキオピー

ハチ、wowaka、じん、石風呂、40mP… かつてのボカロシーンを賑わせたクリエイター達がボカロを”卒業”し自らの声をもって歌う。その流れがある種の成長ストーリーとしてメディアに取り上げられ、歓迎され、決定的となったのも2015年のエポックメイキングな出来事でしょう。その一方で、VOCALOIDというフィルターを通して彼らの音楽を愛好していたリスナーの中には、置き去りにされてしまったと感じ、離れていく人が多いことも事実です。
結局のところVOCALOID音楽が好き、というのはどういうことなのでしょう。VOCALOID音楽をつくるクリエイターが、その人が作る曲が好きということでは無かったのか。VOCALOID音楽の本質は、一体何なのか。ボカロ黎明期より繰り返し繰り返し問いかけられるこの命題への回答が、本作「東京マヌカン」にはあります。
人間ならざる”君”と暮らす”ぼく”を題材にしたピノキオピーによる歌詞世界は、いままで誰も言語化できなかった、いや…誰しも敢えて言語化してこなかった本質を、痛切なまでに描き出しています。

””命のない君がいつか もし もし 息しはじめたら
  ぼくを 気持ち悪いって言うかな
  醜い心の塊 もし もし 飲み込んでくれたら
  なんて それは永遠に夢のまま
  君が生きてなくてよかった                                 

 :

 ずっと まともなふりをしてきたのに

 :
 僕は人間になりきれなかった
””

…すみません。告白しますが、私はこの曲を聴いて涙を吐きました。

君とはつまり、初音ミク。そしてぼくとはピノキオピー自身を指していると捉えて間違いないでしょう。
「僕は人間になりきれなかった」とはピノキオピーの偽らざる本音。独白です。

 

そうなんです。分かっているんですよ。とっくの昔から分かっていることです。VOCALOID音楽に惹かれるのは、歌っているのが人間ではないからです。
溢れるような思いを、感情を、存分に投げつけても全て受けとめてくれる

真っ白な器としての”ボカロ”
だけど、決してその想いには応えてくれない”ボカロ”
絶対に返してくれない”ボカロ”
だからこそ好きでいられる”ボカロ”

そんな”ボカロ”が好きなのです。どうしようもなく。

 

しかし、

初音ミク登場から気がつけばもう9年目です。
そろそろ頃合いでしょう。
そろそろバーチャルな夢から覚めて、我々もリアリティと向き合って行かなくてはならない。
就職、結婚、出産、育児、介護、
そして自分自身の加齢と老後…そんなリアリティと
向き合っていかなくてはならない。
そんなことは分かっています。
そんなことは。

 

そんなことは!!!!!!

分  か っ て ん だ よ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

…そうなのです。
…だからこそ、だからこそ沁みるのです。

だからこそ人間あらざる”君”が歌う音楽が沁みるのです。

励ましになるのです。救いになるのです。
たとえ紅白歌合戦で”君”がrayを歌わなくても、千本桜を歌わなくても、歌わないでいてくれるからこそ救いになるのです。

 

あなたには、それが分かりますか?

 

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最後に少し逸れてしまいましたが、以上10曲を紹介しました。

いががでしたか?

VOCALOID音楽の面白さが少しでも伝われば幸いです。

そしてぜひとも他の方のボカロ10選も巡ってみて下さい。そこに詰まったそれぞれのアツい思いが、感じとれるハズです。

 

さぁ!今年もたくさんボカロ聴くぞー!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*追記*

「東京マヌカン」の項について、あとがき的なことをtwitterでつぶやいていたら

たんぽぽさんがまとめてくれたのでここに載せました。

ありがとうございました。 

togetter.com